内容紹介
「人類の歴史の中でもっとも平和な時代はいつか?」という問いに答えるのはとても難しい。時代だけでなく、場所も限定して考えなければならないが、前1世紀から後3世紀にかけて栄華を誇り、パクス・ロマーナと呼ばれる平和を実現した古代ローマ帝国は、その有力な候補と言えよう。本書では、その古代ローマ帝国の「平和な時代」を、「戦争のない時代」ではなく、「危機管理に成功した時代」であったと捉える。古代ローマの歴史家、ウェッレイウス・パテルクルスは、アウグストゥス帝が帝国の隅々までもたらした平和によって、人々は追いはぎ、山賊の恐怖から解放されたと書き記しているが、だからといって無防備で郊外を歩くことができたわけではなく、様々な制度によって、あるいは皇帝の威光によって、犯罪の抑止が可能になったと考えるべきであろう。強盗、泥棒などの犯罪、あるいは水害や火災に対してもリスクマネジメントが効いていた時代なのである。
本書では、古代ローマを代表する3つの遺跡 後79年のウェスウィウス火山の噴火によって滅んだポンペイ、ポンペイと同時に火砕流によって生命を奪われたのちに泥流の下に沈んだ海岸に広がる街ヘルクラネウム、ティベリス川河口の要塞から発展した古代ローマの外港で後3世紀に最盛期を迎えたオスティア での長年にわたる現地調査にもとづき、現代にも通ずる盗難・火災・洪水・疫病といった危機に直面した古代ローマ人が、それらにどのように対処したのか、そして文明の象徴でもあった都市・建築をどのように守ったのかについて、リスクマネジメントの観点から読み解く。また、各リスクに関連して、古代ローマの扉と鍵、窓と窓ガラス、建設現場について、トピックとして取り上げる。
文献や遺物から歴史を組み立てる歴史家、考古学者とは異なり、都市や建築、とくに実際に残っている遺跡から、危機管理を読み解いていくのが本書のアプローチである。レーザースキャニングや写真測量といった最新の計測技術を使って得られた実測データをもとにした水没シミュレーション、浴場の断面図、火災の痕跡写真など、多数の写真・図版を掲載し、ビジュアルから古代都市の実像に迫る。本書で取り上げた古代ローマ人が残した事例には、もちろん成功例だけでなく失敗例もあるが、彼らの「知恵」と「工夫」は、現代の我々にとっても示唆的である。