内容紹介
明治期に活躍した官僚建築家である妻木頼黄(1859–1916)は、当時の本邦建築界の中心的存在だった辰野金吾(1854–1919)に対峙した存在として知られている。英国流の辰野に対する独逸流の妻木、辰野の日本銀行本店本館(1896)に対する妻木の横浜正金銀行本店本館(1904)など、両者を巡る対置的な図式の中心軸にあったのは、帝国議事堂の設計案をどのように選定するかという命題だった。そのため既往研究の多くでは、妻木が明治20年代末以降に主導した大蔵省傘下の営繕組織の系譜や官庁営繕の沿革についても、議事堂建設に至る道程として描かれている。
その一方で、妻木ら大蔵省営繕組織は、煙草と塩の専売制度の施行を支えた施設群「専売建築」の計画・整備についても一貫して管掌した。これは、日清戦争後に始められた建築事業であり、数か月単位の短い期間での計画策定と工事実施の繰り返しにより、日本全国を網羅する施設群が整備された。この「専売建築」は、元の施工数の多さもあり現存事例が瀬戸内海沿岸をはじめ各地に点在している。郷土史やたばこ文化史、あるいは産業史の観点から個々の現存建物の調査報告や紹介は見られるものの、これまで体系的な建築史研究の対象とされてはいない。
本書は、「専売建築」に求められた短時日での同時多発的な施設計画を可能にした要素として、妻木以下の組織を挙げた「標準化」への志向を検討の起点に据える。「標準化」や「標準設計」の取り組みとしては、鉄道駅舎(停車場)建築など同時代の事例が他にもあるが、妻木らによるそれは対象範囲の設定や運用手法において異質なものと言える。その計画の具体相を、関連する法令や諸制度の整備、人員調達や配置などの組織運営、技術・意匠に関する姿勢といった、ヒト/組織/モノの相関性から実証的に読み解き、明治後期から大正前期にかけての建築の近代化過程を新たな視角から捉え直す。