内容紹介
従来、朝鮮王朝政府は、建国以来、朱子学を国家の根本思想とする「崇儒政策」を実施する一方で、高麗時代に隆盛した護国仏教を排斥・抑圧する「斥仏政策」「抑仏政策」を推進したとされてきた。ところが、従来の研究は、新国家の形成理念である朱子学と個人の信仰である仏教が朝鮮社会で共存していた状況を考慮せず、「崇儒」と「斥仏」「抑仏」を安易に結びつけていた。また、「斥仏政策」「抑仏政策」の概念が生み出された背景についても、関心が乏しかった。
他方、近年、韓国の学界を中心に、近代以来の研究史を展望した上で、通説であった「斥仏政策」「抑仏政策」の概念を史実に即して検証する傾向が現れている。しかし、「斥仏政策」「抑仏政策」にかわる新たな通念を生み出すには至っていない。
そこで、本書では、15~16世紀における王朝政府の仏教政策の展開を実証的に検討した。その結果、王朝政府は、15~16世紀を通じて、僧尼を国家体制の枠内に収め、国家による土木事業の遂行や王室主催の仏事の開設に活用しようと模索していたのであり、決して「斥仏政策」「抑仏政策」という、仏教界に敵対的な政策を推進していたのではなかったことが明らかとなった。
本書の視点と成果は、日本はもちろん、韓国をはじめとする海外の学界でも、朝鮮時代仏教政策史研究に対して新たな刺激を与え、学術的議論を促すことが期待できよう。また、15~16世紀における日本と朝鮮の交流では、高麗版大蔵経や仏教絵画など、多くの文物が朝鮮から日本に伝来したが、その伝来の経緯については、従来、日本側の視点から議論されることが多く、朝鮮側の視点からの指摘は充分でなかった。本書は、これらの文物が朝鮮を離れた背景を王朝政府内部の動向から理解する上で、ひとつの糸口を与えるものともなるだろう。