目次
序章 本書の目的と先行研究
第一節 本書の目的
第二節 先行研究
第三節 本書の構成と概要
第一章 呂太后の権力基盤について
はじめに
第一節 楚漢戦争中の呂太后の行方
第二節 戚姫と趙王如意
一 戚姫の要望
二 趙王如意の年齢
第三節 太子の廃立と周呂侯呂沢
一 太子を立てた時期
二 廃太子騒ぎと周呂侯呂沢の関係
三 呂太后が皇后になった経緯
第四節 漢帝国樹立後の呂太后
一 劉邦の動向と呂太后の帝国経営
二 韓信・彭越の死と呂太后の権力
第五節 呂太后の権力基盤
一 功臣たちとの関係
二 廃太子騒ぎからみた呂太后の権力基盤
三 呂氏勢力に対する劉邦の警戒
第二章 漢初の南北軍
はじめに
第一節 南北軍に関する基本史料
第二節 先行研究における南北軍
一 説1 南軍を衛尉と郎中令の軍、北軍を中尉の軍とする説
二 説2 南軍を衛尉の軍、北軍を中尉の軍とする説
三 説3 南軍を未央宮衛尉の軍、北軍を長楽宮衛尉の軍とする説
四 説4 南軍を長安城南部の軍、北軍を長安城北部の軍とする説
五 説5 南北軍を野戦軍とする説
第三節 諸説共通の問題点
第四節 究明すべきいくつかの事実
一 長安城の構成と両宮の重要性
二 長安の城壁と南北軍
三 南北軍の位置
第五節 「諸呂の乱」の再現
第六節 前漢初期の長安における軍事力について
一 郎中令と中尉について
二 相国と上将軍について
三 南北軍の指揮者及び南北軍と衛尉の関係
おわりに
第三章 劉邦期における官僚任用政策
はじめに
第一節 軍功と封侯
一 最初に封ぜられた二十九侯
二 二十九侯の構成と功について
三 軍功の概念と劉邦の封侯基準
第二節 漢五年の三公九卿について
一 三公九卿と軍功
二 三公九卿の任用原則
第三節 文武の対立と劉邦の統治理念
一 蕭何の封侯をめぐって
二 劉邦の統治理念
三 劉邦の「知人善任」
四 地方官僚の任用
おわりに
第四章 呂太后の権力基盤の衰退と官僚任用政策の変化
はじめに
第一節 「怏怏」派の存在と曹参の任用
一 「怏怏」派の存在
二 劉邦の遺言について
三 曹参の起用
四 曹参の強権
第二節 丞相権の分割と太尉の復活
一 王陵について
二 陳平について
三 周勃について
四 王陵、陳平、周勃の関係
第三節 呂太后の不安と側近の任用
一 恵帝の死
二 審食其の任用
三 任敖と曹窋の任用
第四節 呂氏一族の任用
第五節 九卿の任用について
おわりに
第五章 「諸呂の乱」における大臣と斉王兄弟
はじめに
第一節 「諸呂の乱」について
一 史料記載の混乱
二 呂氏一族の「野心」と敵対勢力
三 「諸呂の乱」の参加者と情報の出所
四 先行研究から見た「乱」の理由
第二節 少帝弘をめぐる中央の情勢
一 中央における呂氏専権
二 「諸呂の乱」の原因
第三節 斉王兄弟と大臣の目的及び少帝弘の身元について
一 斉王兄弟の狙い
二 大臣の立場
三 少帝弘の身元
第四節 「諸呂の乱」における大臣と斉王兄弟
一 少帝弘の交代
二 大臣と斉王兄弟
三 呂氏一族の死と劉章
四 「諸呂の乱」における大臣同士の関係と地方諸侯王
第五節 「諸呂の乱」をめぐる動き
一 「諸呂の乱」の経緯
二 「諸呂の乱」が正当化された理由
第六節 「諸呂の乱」の影響 文帝の対応策を中心に
一 周勃の失脚と陳平の選択
二 斉王劉襄と淮南王劉長
おわりに
終章 本研究の結論と前漢史研究における意義
第一節 本研究の要約
一 呂太后の権力基盤と統治方法
二 官僚任用原則と権力の配分
三 「諸呂の乱」の真相
四 呂太后期の権力構造
第二節 前漢史研究における本研究の意義
一 呂太后と劉氏の関係
二 呂太后と大臣の関係
三 文帝期の研究について
四 前漢史の区分について
五 劉邦集団について
六 「三権並立」の考え方について
七 任侠精神について
八 史料の問題について
九 呂太后に対する認識
参考文献
あとがき
巻末資料
劉邦・呂太后家系略図
秦末漢初略図
劉邦年表
呂太后期年表
人名索引
事項索引