内容紹介
1941年に日本学術振興会によって行われた遼東半島上馬石貝塚の発掘は、長い間その資料が公開されないままであった。それは、新石器時代から青銅器時代さらに初期鉄器時代に至るまで連綿と続く遺跡であり、本地域の基準的な土器編年網を構築できる遺跡であった。これによって作り出された遼東土器編年は、中国中原と朝鮮半島さらには北部九州を結ぶことができるものであり、弥生の実年代を考古学的手法によって唯一解明できるものである。その結果、北部九州の弥生時代の開始は紀元前8世紀頃にあることが証明された。さらには、韓国無文土器文化の起源を土器製作技法から繙き、遼東の偏堡文化の拡散と関係することを初めて明らかにした。こうした土器製作技術の解明は、朝鮮半島の無文土器の始まり、さらには弥生土器の起源を明らかにすることに繋がった。また、韓国初期鉄器時代に相当する粘土帯土器の出自が遼東にあることを、初めて実証的に示したのである。