内容紹介
本書は、書簡や日記をはじめとする豊富な未刊文献を駆使して、フランスの文豪アンドレ・ジッドが同時代人と結んだ多様な関係の具体相を鮮明に描き出し、稀代の文学的プロテウスの多面的肖像を活写する、実証研究の画期的成果である。
ジッドがフランス文学史上固有の地位を主張しうるのは、ある文学的戦略を早くから選択し、以後ゆらぐことなくそれを実践し続けたからだ。すなわち、自己を禁忌とする逆説的なナルシシズムを育み、これに縛られ導かれて、ついには禁忌と執着とが混淆し、現実と虚構とが分別しがたい自伝空間を生きる、そして行為と書物とが捻れあい織りなす「生」の総体そのものをひとつの「作品」として提示する、という戦略である。
このことは、ジッドが青年期から愛読していたフローベールの小説美学にかんする次の考察からも窺えよう 「フローベール流の客観性は人間存在を外面からしか眺めようとせず、存在の深奥に到達することはない。私の思うに、小説家にとって真の客観性は別様な働き方をするものなのである。小説家が登場人物になりきらないかぎり、描かれるのはただその輪郭にすぎないのだ」。
じっさいジッド作品の主人公たちの多くは彼自身を色濃く投影した存在であるが、しかし上記の文学的戦略にそって描き出される「自画像」は不可避的に誇張と歪みとを内包する。「ジッドの総体像に迫る」とは必然的に、この誇張と歪みを読み解きながら、彼独自の創造的な自伝空間を検証することにほかならないのである。