内容紹介
本書は、主に文学作品における知的障害者の語られ方を通史的に考察することで、近代以降の日本における知的障害者観、人間観はいかなるものであるか、そして私たちはこれから人間をどのように語り得るのかを検討したものである。
近代以降、学校等これまでなかった制度がつくられ、従来の士農工商は人間という概念にとって替わられた。士農工商では共同作業ができず、学校などが成り立たないから、教育で伸ばすべき意志や理性をもち、国家・社会に益する存在としての人間概念が、近代社会を成立させる上で必要とされたのである。明治二十年代、義務教育の普及にともない、「idiot」の翻訳語としての「白痴」が、教育し得ない、意志や理性をもたない非人間的な存在というニュアンスで、実体性を帯びてきた。文学は、教育や精神医学における「白痴」の問題を取り込みながらも、教育等の「白痴」言説に多かれ少なかれ距離をとり、そうすることで文学における「白痴」表象は成立した。
意志等をもたないとされた近代以降の知的障害者は、座敷牢や精神病院に監禁・隔離されるなど、社会的に疎外されてきた。本書では、國木田獨歩「春の鳥」をはじめとする多くの文学作品で、知的障害者が健常者以上に豊かな存在・人間として描かれてきた一つの流れに注目し、知的障害者表象が健常者によって一方的に語られる知的障害者から、自らの意志や世界認識を語る知的障害者へと変容したことを浮き彫りにした。その上で、自らの意志を語る知的障害者表象には、私たちが人間を語る上でどのような可能性があり、またどのような問題があるのかを検討した。
本書で扱う作品は、國木田獨歩「春の鳥」(明治三十七年)、芥川龍之介「偸盗」(大正六年)、石井充「白痴」(大正十五年)、式場隆三郎編『山下清放浪日記』(昭和三十一年)、大江健三郎『静かな生活』(平成二年)、青来有一「石」(平成十七年)などである。知的障害者概念に変化・多様化が生じた時期の作品を考察の対象とした。
巻末には資料として「知的障害に関する記述を含む作品・事項一覧」を付した。この一覧には,文学作品だけでなく、医学や教育学、社会学などの文献も、明治から現代まで年度毎に、海外のものまで幅広く載せてある。また、知的障害に関わる法律の制定や、支援者・当事者による運動、事件、映画などの事項も、同様に網羅した。人名・事項の索引は,本文だけでなくこの一覧にも及んでいる。