内容紹介
遠藤周作は、自作について書き、また語ることの多い作家であった。それは、創作意図、主題等へも及び、その言説が倣うべき一つの権威となり、研究へも作用する側面のあったことは否めない。本書は、そうした状況にとらわれない、作品と資料との関係を実証的に検討した成果を収める。
第一章から第六章までは、長崎を舞台とした切支丹物を主に、参考資料等からの作品への反映状況を検討した論考により構成した。それは、キリシタン時代から近現代までを背景に、創作活動の中核をなす期間に描かれた最初の切支丹物「最後の殉教者」(1959)から最後となる『女の一生 二部・サチ子の場合』(1982)までを主な論題とする。そして各章における論究を通して把握されたのは、その創作が〈日本人に合ったイエス像〉を描くという課題に取り組んだ段階的な所産であったという点である。さらにその課題が、青年期から抱えていたトマス・アクィナス、アウグスティヌスそれぞれの思想への躊躇と信頼とにつながっていると検証されたことから、二人に関連した形而上的な問題を考察する第七章を結びとした。
それはまた、アウグスティヌスの思想を後ろ盾にした許す神、母の宗教という本質を託した〈母なるもの〉の形成過程の探究でもあった。このように本書は、作品に関係した資料の受容状況の照査、また日本人に合ったイエス像を形作っていくプロセスの追究、さらにその背景にあった形而上的な問題の解明という各考察を関連付けた組み立てとなっている。