内容紹介
ホブスンは1858年の誕生から1940年に逝去するまでの間に,ジャーナリステックな観点から経済理論,政治思想,失業,貧困,教育,議会改革等に関する多数の著作を残している。彼の著作は時論的であったため,ホブスンを体系的に理解しようという試みはあまり見受けられなかった。したがって,ホブスンの評価は,レーニンによる帝国主義論の先駆者,ケインズによる有効需要論の先駆者としての評価をはじめとして,近年,クラークやフリーデンらが提起した新自由主義の代表者としての再評価のように,時代とともに変容しているが,その評価は断片的であったと言える。しかし,最近,新自由主義者ホブスンを評価する際,過少消費説との関連から考察していることが多く見受けられるようになった。だが,この研究では,新自由主義と過少消費説の内容と歴史的意義に留まるため,それを統合する枠組みとして何らかの理論,すなわち体系のコアとなる理論が必要とされる。つまり,ホブスン研究に新たな視座を提出するために,これまであまり研究の対象となっていない「レント論」という新たな理論を用いて,ホブスン体系を再構成しようというのが本書の研究である。
つまり,ホブスンは19世紀後半から第1次大戦にかけて,イギリスの政治・経済を如実に観察・分析し,痛烈な批評を残しているが,彼の理論が断片的に取り上げられ,時論的に解説されてきたと言えよう。しかし,1990年以降,ホブスンの理論・政策・思想を体系的に捉えようとする動きも見られるようになった。本書もこうした動きの一環である。本書は,これまでの研究では余剰が過少消費説という観点から主に述べられてきたのに対し,余剰がレント論によって説かれていることを認識し,それを基底にホブスンの理論・政策・思想が構成されていることを理論的・概念的に再構成・再解釈しようとするものである。
再構成するため,まずレント論を抽象的概念としてのレント,具体的認識可能な概念利益,政策的概念としての利益から再構築し,次いで,レント論では価格論として提示されているのに対し,過少消費説では実物面から説かれている余剰概念について,レント論がより一般的な分析装置と捉えることができることを明らかにする。こうしたステップを踏むならば,ホブスンの主張する政治改革・経済政策の根幹にレント論があると言っても異議は起こるまい。とすれば,新自由主義の基底にもレント論があるということになろう。
19世紀後半から20世紀前半のイギリスの政治・経済的変化に対応するために考案されたホブスンの「新自由主義(New Liberalism)」の考え方は,昨今興隆を極めた「ネオ・リベラリズム(Neo Liberalism)」の自由放任主義的,夜警国家的,市場至上主義的経済運営の行き詰まりを予測でき,またポスト・ネオ・リベラリズムを思考するにあたって,新たな視座を提供できよう。
「はしがき」より