内容紹介
幕末、尊王攘夷の急先鋒となっていた長州藩にとって、1864年の四国連合艦隊下関砲撃事件(幕末下関攘夷戦争)は、その攘夷を断念せざるをえないような西洋の衝撃(ウエスタンインパクト)を同藩に与えた。伊藤博文や井上馨とともにこの戦争に遭遇した笠井順八や豊永長吉にとっても、人生を左右することになるターニングポイントとなった。その後、長州藩は倒幕の主体勢力となって明治という新時代を迎えることになるが、旧長州藩士にとっても、新時代を生き抜いていくのは試行錯誤の連続であった。
本書は、旧長州藩士のその後について、地方企業家(ローカル・アントレプレナー)をキーワードに、笠井順八と豊永長吉の事績を中心として考察したものである。
四民平等の名のもとに身分制度が解体され、全国で士族授産に向けて多くの結社が作られていくなか、笠井順八は、これまでの我が国になかったセメント産業に着目して、セメント製造会社(のちの小野田セメント)を設立した。欧米の企業制度をある程度理解し、結社とは異なる株式会社形態の近代企業として創成したことが、同社発展の礎となった。笠井は、地域振興のために銀行や軽便鉄道会社を設立した地方企業家であった。
一方で、豊永長吉は、新時代を見通す眼力を有しており、明治初年には早くも帰商して商業活動に従事しながら、欧米をモデルとした企業の創設を模索し、赤間関米商会所から豊永組を経て、化学企業の日本舎密(せいみ)を創業した。企業経営を通じて豊永自身も地方企業家として成長を遂げていった。
彼らは地方企業家として地域の振興に貢献するとともに、新時代の産業発展の礎となるのは企業システムであることを見抜き、近代企業を創成していったのである。
さらに、旧長州藩士のための金禄公債の保全を目的の一つとした金融機関で、当時にあっては大銀行といえる第百十国立銀行の創業の経緯と運営の過程も取り上げ、殖産興業資金の供給や地域金融の展開で旧長州藩士が果たした役割にも言及している。
明治を迎えた我が国において、試行錯誤を繰り返しながらも、逞しく新時代を生き抜いた旧長州藩士の挑戦していく姿を浮き彫りにした。