内容紹介
日本の教育学は長年、主に戦前期に活動した一部の著名な教育学者たちに目を向ける一方、戦前・戦後に活動した比較的有名でない無数の教育学者にはほとんど目を向けてこなかった。本書は、そうした日本の教育学という学問的ディシプリンに対し、伝記的データを用いたプロソポグラフィの手法によって検討対象の拡大を試みるものであり、主には戦前期の中等教員養成を支え、戦後日本の教育学者の多くを輩出し、教育学というディシプリンの再生産に大きな役割を果たしてきた諸機関に勤務した教育学者たち(計365名)の全体的な傾向を分析しようとするものである。すなわち、彼らの修学・教授・研究履歴に関わる情報を可能な限り収集し、分析することで、各機関に属した教育学者たちを集団として捉えた際の修学履歴、着任前の職業履歴、着任後の職業履歴、留学経験、博士号取得の状況、ジェンダー比率などの検討を本書では試みている。
本研究を通して明らかになったのは、「日本の教育学がドイツ教育学から強く影響を受けてきた」ことはたしかに間違いではないものの、実際には(教育学研究者たちの留学先や著作などからも明らかになるように)ドイツ以外の国々の教育学や教育思想からも強く影響を受けてきたこと、さらには(とりわけ戦後に細分化が進んだ各部分領域において)日本人研究者たちの多彩な興味関心や問題意識の中で教育学研究の裾野が見通し切れないほどに広がっていたことである。そもそも、「日本の教育学」は単数形で語りうるものではなく、さらには著名な教育学者の理論や思想の歴史として描き出せるものでもない。また、教育学研究者たちが勤務し、そして後進の教育学研究者を育成した機関にも、旧帝国大学と旧高等師範学校・女子高等師範学校、旧文理科大学などが存在し、さらに戦前期より存在する機関と戦後になって設立された機関などが存在した。これらは、それぞれに異なる特徴を有し、決して同質かつ相互に代替可能のものとして扱いうるものではない。そもそも、学問の歴史は単に理論や学説の歴史としてのみ描き出しうるものではなく、近年の科学史研究や科学社会学の研究が明らかにするように、研究・教育機関、学会組織など、様々なファクターを視野に入れて論じる必要もある。教育学研究の発展は、研究者の個人的営みとして生み出されるというよりは、教育学研究者たちの集団的・集合的活動の蓄積により生み出されるものなのである。しかしながら、日本の教育学は自らのディシプリンの過去をある面で「タブー視」し、過去に目を閉ざすことで、こうした蓄積をも振り返ることなく進んできたのだと言えるだろう。