ロシア革命と保育の公共性 どの子にも無料の公的保育を
内容紹介
1917年の革命から1920年代末までのロシア(主にモスクワ,ペテルブルク,ヴャトカ)を対象に,「どの子にも無料の公的保育を保障する」と今日的に読み替えられる保育制度構想の変遷を,当時の大会論議や公式統計などに基づいて分析したものである。本書では,「乳幼児の暮らしや養育の実態を踏まえる」「保育を左右する家族・女性・労働・人口などの問題に配慮する」「日本やフランスの保育の歩みと比較する」という3点に留意している。
目次
はじめに
本書の概要と特徴/日本の養育と保育の現状/比較と比較史/本書成立
の遠因と近因
表 一 覧
凡 例
地 図
序 章
(1)本書の目的と分析課題
目的・対象・課題/保育制度構想の意義/フランスと日本の保育制度構
想/乳幼児の養育環境と労働・家族・人口の変化
(2)先行研究の批判と本書の時期区分
日本語文献/ソ連期のロシア語文献/ソ連期の英語文献/ソ連崩壊後の
研究/革命前後の連続性の評価/ソ連期の全面否定/非政治主義への傾
斜/保育理念のユートピア性/最近の動向/初期の意義/初期の小区分
と本書の構成
(3)対象の設定と資料・用語
大会と協議会/3地域/資料/用語/保育施設のタイプ
第1章 帝政末期のロシア社会における養育と保育をめぐる関係
第1節 世紀転換期の社会と養育の動向
(1)女性労働者の変化
量の側面/質の側面
(2)乳幼児死亡率の推移と人口転換の開始
人口推移/高い乳幼児死亡率とその要因/3地域の乳幼児死亡率/人口
転換と乳幼児人口
(3)小家族の出現と養育の変化
1.ロシアの家族の特徴と都市の生活環境
西欧とロシアの家族の違い/出稼ぎの拡大/女性の出稼ぎ者/都市の生
活環境/住宅事情
2.出産と養育の環境の変化
女性労働者の保護と出産/中絶と婚外子/養育院と里子/養育の方法
第2節 全国と3地域の保育界の動き
(1)保育施設の誕生と保育制度構想の芽生え
二元施設の発足/農繁期保育所の発足/19世紀末のシムビルスク県/20
世紀初めの保育制度構想/二月革命期の保育制度構想/帝政末期の保育
施設網
(2)ペテルブルクの保育界
『幼稚園』誌/フレーベル協会/自由教育論/第1回全ロシア家庭教育
大会/保育施設と保育者養成機関/モンテッソリ思想の影響/ウクライ
ナの保育界
(3)モスクワの保育界
市会と市参事会/教育・保育関係の団体/セツルメント協会/大戦下の
動向/養育院/有償幼稚園/モスクワ学区の幼稚園/民衆幼稚園/大戦
下の託児所/臨時施設/障害児施設/保育者養成機関/シャツキー方式
(4)ヴャトカの保育界
第2章 保育制度構想の提起と追求(1917―1921年)
――近代公教育の原理と内戦の影響――
第1節 革命・内戦下の乳幼児をめぐる状況と保育施設の急増
(1)新政権の保育政策と保育施設網の拡大
保育部の発足/革命直後の教育と保育の制度構想/モスクワ派とペトロ
グラード派/就学前教育としての保育/保育施設網の拡大/就園率の推
移/ヴャトカ県の保育施設網
(2)乳幼児をめぐる状況
――女性労働者・家族の変化と人口動態から――
1.女性労働者の増減と新政権の労働者政策
全国の動向/モスクワ市の動向/労働者政策の変化
2.1918年家族法と家族消滅論
1918年家族法/離婚の増大/家族消滅論
3.出生率と乳児死亡率の推移
4.児童保護組織をめぐる対立
児童救済連盟/児童保護会議/子ども委員会
第2節 「新社会」の保育課題と保育制度構想の提起
(1)第1回大会(1919年春)における保育制度構想の提起
養育と保育の関係/全員就園制と無償制/保育と政治/保育と労働・生
活/国営制
(2)保育制度構想の基盤とペトログラード派の異論
就園率と保育予算/ペトログラード派の異論
第3節 保育施設の基本タイプをめぐる論争
(1)保育時間の長短についての3つの考え
保育時間に関する基本方針/託児所派/幼稚園派/中間派
(2)養育の共同化と保育時間
保育時間とその規定要因からみた3つの考え/養育の共同化をめぐる理
念と実態の交錯
第4節 保育者養成の原則と実際
(1)第1回大会における「実践から理論へ」と「理論から実践へ」の選択
養成内容の編成方針/労農層からの養成/短期の養成/長期の養成
(2)1910年代末の保育者養成機関
モスクワ市の養成所/ペトログラード市の養成所/モスクワ市の講習会
/ヴャトカ県の講習会/促成養成
(3)1920年代前半の保育者養成の原則と保育者の特徴
第2回大会における養成所の重視/保育者の特徴
第3章 保育制度構想をめぐる矛盾とその打開の模索(1921―1924年)
――飢饉と市場経済化のなかでの保育――
第1節 飢饉と乳幼児の生存・生活の危機
(1)飢饉の概要と乳幼児・保育施設に対する影響
発端と原因/規模/子どもへの影響/配給と給食/救済機関/疎開/カ
ニバリズム/ヴャトカ県の状況
(2)浮浪児の急増とその対策
浮浪児の概数/救済策/児童ホームの増減/養子制度の復活/児童ホー
ムの実態
(3)1926年家族法と家族強化論
1926年家族法/中絶の実態/家族強化論
第2節 保育と女性労働者に対するネップの影響
(1)教育予算・保育予算の削減と地方予算化
教育予算比の推移/教育の地方予算化/保育の地方予算化/常設施設の
予算/保育施設の給食/臨時施設の予算/ヴャトカ県の事例/地方教育
部の窮状
(2)女性の労働者と失業者の増大
就業人口の変化/失業者の増大/女性の保護と解雇/平均賃金と男女差
第3節 保育施設網の縮小による全員就園制の断念
(1)保育施設数の急減
全国の動向/中央施設と一般施設/モスクワの動向/ペトログラードの
動向/ヴャトカの動向/第3期以後の動向
(2)就園率の急落
地方別の動向/レニングラード市の動向/ヴャトカ県の動向
(3)幼稚園会議
住民代表の重視/機関代表の重視/校長職の復活/参加なき支援
第4節 ネップへの転換と保育制度構想をめぐる論議
(1)第2回大会(1921年秋)における国営制と無償制に関する方針
保育者の献身性の要請/保育の自由/保育と教化/国営制と無償制の
「原則維持」/方針の2つの解釈/ネップ下での保育制度構想の修正
(2)私立施設の拡大と有償制の部分的導入
私立施設の拡大/有償制の部分的導入
第4章 保育制度構想の実質的な転換と農村の保育活動
(1924―1928年)
――開園権・有償制の拡大と簡易施設への傾斜――
第1節 保育制度構想の転換――無償制の断念と開園権の拡大――
(1)第3回大会(1924年秋)における開園権の条件付拡大と有償制の導入
公認団体と一般団体/保育部長の報告/開園権/有償制/保育者の社会
活動
(2)住民グループをめぐる異論と有償制導入に関する一致
開園権の範囲/住民グループに対する3つの立場/有償制の対象/有償
制の基準/無償制の断念/保育者の責務
第2節 開園権のさらなる拡大と国営制の転換
(1)第3回協議会(1926年春)直前の開園権拡大の動き
1925年11月/1926年2月/1926年3月
(2)第3回協議会における全住民グループへの開園権の付与
教育人民委員部内の不一致/モスクワ派とレニングラード派の見解/地
方の見解/保育部の見解/開園権の対象の構造
第3節 簡易施設の普及
(1)第3回大会における保育施設の経費削減と簡易施設の勧め
(2)第4回大会(1928年末)における簡易施設への傾斜
焼き直しの保育政策/施設・設備基準と保育水準/簡易施設と常設施設
/保育関係者の間の不一致
第4節 1920年代中頃の農村における保育活動
(1)1924年のヴャトカ県での活動
開園まで/園児の体調と給食/園内外の活動
(2)1924年のロシア中央部での活動とその後
開園地と資金/農民の反応/機関と団体の対応/1925―1928年の活動/
農村の保育施設の両面性
終 章 総括と含意――保育制度構想の今日的意義――
(1)19世紀末―20世紀初めにおける保育制度構想の芽生え
労働者/人口動態/小家族/養育環境/保育施設/保育制度構想
(2)1910年代末における保育制度構想の提起
保育制度構想/社会状況/社会的基盤/施設と予算/保育者養成
(3)1920年代前半における保育制度構想をめぐる矛盾
困難/障害/意図/予算/施設と行政機関/幼稚園会議/保育理論と保
育者養成/構想の転換/転換の背景
(4)1920年代中頃以降における保育制度構想の転換
転換後の構想/開園権の構造/保育施設網と簡易施設/農村の活動
(5)保育需要と保育制度構想
潜在的な保育需要/不一致の表面化/再考の機会/オールタナティヴ/
保育部の選択
(6)保育制度構想の歴史的・今日的な意義
1.近代公教育の系譜(19世紀以前との関係)
戦後日本の公教育論/フランス革命期の公教育論/『国民教育と民主主
義』
2.社会主義の系譜(20世紀との関係)
3つの構想の比重の相違/近代化と社会主義/現代化の構図と養育共同
化の見取り図/日本における養育の共同化/ロシアの養育共同化と「初
期」後の制度構想
3.公共圏の系譜(21世紀との関係)
公共圏と公共性の理論/保育の共同性/保育制度構想の読み替え/現代
社会における公的保育の制度構想
年 表
文 献
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