古代東アジアの知識人 崔致遠の人と作品

シリーズ名
九州大学韓国研究センター叢書 2
著者名
濱田耕策 編著
価格
定価 5,280円(税率10%時の消費税相当額を含む)
ISBN
978-4-7985-0115-4
仕様
A5判 上製 296頁 C3322
発行年
2013年12月
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内容紹介

『古代東アジアの知識人崔致遠(さいちえん)の人と作品』(九州大学韓国研究センター叢書2)は九州大学教育研究プログラム・研究拠点形成プロジェクト(P&P/B2)として採択された「崔致遠撰『桂苑筆耕集』に関する総合的研究」(平成十三年度~ 十四年度)と科学研究費補助金(基盤研究〈B〉平成十七年度~ 平成十八年度)「朝鮮古代の文人官僚・崔致遠の人と作品に関する歴史文学的研究」の研究成果を選択的に整理し編集した論集である。
二つの研究プロジェクトの課題は、日本の東洋学の成果に基づき、朝鮮学の研究対象として朝鮮古代史のなかで最も長い歴史を経た新羅の、その末期に唐と新羅に活躍した文人官僚の崔致遠(チェチオン)(八五七~?)とその詩文集である『桂苑筆耕集』について、人文学の各方面から研究の鍬をふるったわが国では初となる総合的な共同研究を進め、その成果を広く学界と社会の共有とすることにあった。
崔致遠は九世紀半ば、十二歳の年齢で新羅から商船に乗り、唐王朝最末期の中国に渡る。刻苦勉励の末、八七四年に唐朝の科挙試験の進士科のなかで外国人に開かれた賓貢科に見事合格すると、やがて江南随一の商都揚州の節度使であった高駢の書記官となり、その幕下で文筆能力を大いにふるった。しかし、望郷の念抑えがたく、二十九歳となった八八五年に唐朝の「国使」となって、故国新羅に栄誉の帰還を果たし、新羅の官僚として活躍した人物である。
わが国では崔致遠についてはこれまで紹介されることが少なく、僅かに今西龍によってその略伝が(1)、また周藤吉之によって交遊関係と作品を通して節度使の活動等の一部が知らされていたに過ぎなかった(2)
さらに、崔致遠は新羅へ帰国後、今日では「四山碑銘」と通称される一つの寺碑と三つの高僧碑を撰文していたが、井上秀雄はその一つの高僧碑銘の用字と書法について基礎的な調査を始めていた(3)
崔致遠は朝鮮半島出身ながら、在唐中の著作が『新唐書』芸文志に記録されたように、「文才」によって中国史上に認められた希有な新羅人であり、朝鮮史上、否、東アジア史上でも研究対象となる人物であり、それ故にその作品群は研究されることが期待されていた。
九世紀後半に繰り広げられた崔致遠の政治と文筆の活動は我が国では菅原道真(八四五~九〇三)のそれとも重なる。中国の周辺諸国が様々な人物交流を通して、中国の各方面の文化を受容した様相を考える上でも、この二人の「人と作品」の対照研究は興味深いこれからの研究課題となろう。
ところで、崔致遠と『桂苑筆耕集』については我が国では勿論のこと、中国においても研究は始まってはいるが、未だ十分に進行しているとは言えない。韓国においては書誌学的研究を踏まえることはやや弱く、近年、作品を通した崔致遠の政治・思想論が李英成(4)や張日圭(5)によって盛行している。
プロジェクトの研究過程では、九世紀後半の新羅人による漢文文献という、これまで我が国では注目されることの少なかった史料を研究対象とするため、先学による研究成果の蓄積が寡少であることから、日韓に伝存する『桂苑筆耕集』について書誌と刊行の歴史を調査し、また研究文献目録を作成した。さらに、『桂苑筆耕集』二〇巻の各版本を調査して、本文の校勘をはじめ、同書および他の多くの崔致遠作品から窺える九世紀後半の中国社会とその文化、さらに崔致遠の著述活動と交遊とそれらの作品について、また、崔致遠が後世の朝鮮に与えた文化的影響の有り様について、中国学の文学、思想、歴史の各分野、そして朝鮮史学と書誌学の問題関心から総合的に研究を進めた。
歴史学の視角からは、崔致遠の伝記と唐代節度使の高駢とその幕僚の文筆活動の具体相につづいて、崔致遠の作品に現れた自国認識への関心とともに、新羅人の「中華」への接近の有り様を日本とも比較する研究が進められた。
文学研究の視角からは、崔致遠と唐代詩人との交流の具体相の解明や、崔致遠の逸詩の整理と解釈が進められた。また、崔致遠の作品を素材に、漢語を母国語としない新羅人の漢語修得の実状についても研究がなされた。
さらに、思想史学の視点からは、朝鮮王朝時代の思潮のひとつである「慕華思想」が昂揚した過程における崔致遠とその作品に対する評価の変容が注目され、後世、崔氏の一族が崔致遠を儒者として称揚した実態が書籍の編纂や刊行を素材に解明がなされた。
以下、本書に収めた論考について簡略ながら紹介しよう。
【歴史編】第一章は崔致遠の作品を理解するための序論として、崔致遠の伝記を綴っている。そこでは、崔致遠の唯一の伝記である『三国史記』巻四六の崔致遠伝(「付録」参照)では綴られなかった崔致遠の事蹟を組み入れて伝記を再構成し、崔致遠の亡き後の評価の歴史をも掲げて、諸論考を理解するための導入としている。
第二章は作詩を通して、崔致遠が在唐時代に結んだ節度使高駢との交友を発掘している。崔致遠が節度使の高駢に献げた「記徳詩三十首」を解釈し、そこに高駢の多才を確認して、高駢の生涯が『水滸伝』の主人公の宋江に連なる可能性を示唆して興味深い。
第三章は崔致遠が新羅に帰国した後の政治活動について、『桂苑筆耕集』を時の憲康王に奉げた政治的意味を読み取っており、在唐の経歴とその思想、宗教観に基づいた新羅王権への接近の有り様を六頭品という新羅社会の根深い身分制(骨品制)を背景として解明する。
第四章は東アジアの民族史の相互関連性と中華思想の拡散を研究する視点から、崔致遠より約一世紀早く唐に活躍したわが国の阿倍仲麻呂について、二人の活動と故国意識などの内面とを比較する。まず、仲麻呂がはたして科挙に及第したかについて疑問を提示し、その上で新羅と日本の対外関係の歴史を土壌として蓄積された唐文化との関わりの有り様について、この二人を対照して、中華意識や天下意識を比較分析し、また近世から近代における二人の評価の相違についてもその文化的背景を考察する。
【文学編】第五章は崔致遠の渡唐と活動について、その社会的背景を踏まえて、節度使高駢に仕えた書記時代の代表作である「檄黄巣書」の作風を明らかにする。ついで、晩唐の詩人である羅隠と顧雲と崔致遠のそれぞれの交友を作詩を通して明らかにする。なかでも時を同じくして科挙に及第した顧雲が崔致遠に送った送別詩を解釈して、崔致遠の号である「孤雲」の由来を示唆する。
第六章は、わが国の漢詩集である『千載佳句』に収められた崔致遠の逸詩九首に解釈を加え、詩の復原、創作時とその場所、そして作詩の背景と心境を考察する。さらに、この崔致遠詩を日中の漢文学史のなかに位置づけ、『千載佳句』に収められるに至った文化交流の歴史の解明を求めている。
第七章は『桂苑筆耕集』に収められた六〇首の詩を調査し、その九詩のなかから唐代の十の詩語を分析し、詩語の典故や用法について先例と比較考察する。そのことから晩唐における外国人である崔致遠が獲得した詩語の用法は唐代の詩人のそれと遜色ないことを明らかにしている。
【書誌編】第八章は崔致遠の後孫を中心に、近現代に至って根強く説かれる『経学隊仗』は崔致遠の著作であるとする説について、後孫が刊行した諸版本等七種を韓国に調査し、その体裁と構成からこの書が崔致遠の著作でないこと、この書は『四庫全書総目提要』に記載された生没年未詳の朱景元の著述であることを改めて確認する。そのことによって、崔氏の後孫がこの書を崔致遠作として刊行を続け、先賢を崇敬する崇儒の有り様を明らかにしている。
第九章は新羅「三賢」と称される金庾信、薛聡、崔致遠を奉祀する慶州の西岳書院の歴史等を記録した『西岳志』(『西岳書院志』)について、日韓に伝存する一七点一八冊の体裁と構成を調査し、これを一〇種類七類型に分類した書誌研究の成果を提出する。『西岳志』は一六四二年(朝鮮朝の仁祖二十年)に初刊されたのち、二十世紀に六類型が次々と刊行されたことを明らかにしており、その思想的また社会的背景として、近代化と植民地化の進行に抗して、「三賢」の事蹟が追慕され、また父系血縁意識の高揚を見ている。
最後に、付録として、崔致遠を知る基本史料の一つである『三国史記』の崔致遠伝と、崔致遠が新羅帰国後に『桂苑筆耕集』を撰した思いを述べた『桂苑筆耕集序』と、さらに近世に行われた刊行の経緯を述べる『校印桂苑筆耕集序』について、書き下し文と現代語訳を掲げた。

[註]

(1) 今西龍「崔致遠伝」『新羅史の研究』(国書刊行会復刻、一九七〇年)。
(2) 周藤吉之「新羅末の文士崔致遠伝―とくに同年進士の友顧雲の事蹟について―」(『東洋大学東洋史研究報告』IV一九八七年)、同「唐末淮南高駢の藩鎮体制と黄巣徒党との関係について―新羅末の崔致遠の著『桂苑筆耕集』を中心として―」(『東洋学報』第六八編第三・四号、一九八七年)、両論文は後に、同『宋・高麗制度史研究』(汲古書院、一九九二年)に所収。
(3) 井上秀雄「拓本と釈文―朗慧和尚碑の解読を前にして―」(『朝鮮学報』第九六輯、一九八〇年七月)。
(4) 李英成『崔致遠の思想研究』(亜細亜文化社、一九九〇年)。
(5) 張日圭『崔致遠の社会思想研究』(新書苑、二〇〇八年)。

目次

 まえがき
 
       歴史編
 
第一章 新羅の文人官僚崔致遠の”生”と”思想”
 
  はじめに
  第一節 誕生から渡唐まで
  第二節 在唐時代
  第三節 新羅末期の社会と崔致遠
  第四節 崔致遠の文筆活動
  第五節 崔致遠の慕華主義的性格
  おわりに
 
第二章 新羅文人崔致遠と唐末節度使高駢の前半生
 
  はじめに
  第一節 高駢の文化活動
  第二節 行政官としての高駢の武勲
  第三節 ベトナム史の重要な一齣
  第四節 四川、山東、そして荊州へ
  第五節 潤州、揚州における高駢
  おわりに
 
第三章 崔致遠の儒教的政治理念と社会改革案

 
  はじめに
第一節 儒教的政治理念の模索
第二節 時務十余条の提起
おわりに
 
第四章 崔致遠と阿倍仲麻呂  古代朝鮮・日本における「中国化」との関連から見た  
 
  はじめに
第一節 唐朝官僚としての崔致遠の自他意識
第二節 阿倍仲麻呂と科挙登第
第三節 阿倍仲麻呂にとっての中国と日本
第四節 阿倍仲麻呂・崔致遠に対する後世の評価と国制の変遷
おわりに
 
文学編
 
第五章 新羅・崔致遠と晩唐・顧雲の交遊について
 
  はじめに
第一節 崔致遠伝をめぐって
第二節 「檄黄巣書」の文体
第三節 崔致遠と羅隠の交遊
第四節 崔致遠と顧雲の交遊
おわりに
 
第六章 『千載佳句』所収崔致遠逸詩句初探
 
  はじめに
第一節 中国の友人たちへ
第二節 長安の春
第三節 江南での詩作
第四節 崔致遠の自編詩文集
おわりに
 
第七章 崔致遠『桂苑筆耕集』における唐代に現れた詩語について
 
  はじめに
第一節 詩語の外観
第二節 詩語の解釈
おわりに
 
書誌編

第八章 『経学隊仗』の成立と崔致遠
 
  はじめに
第一節 『経学隊仗』の諸本
第二節 『類説経学隊仗』の構成
第三節 著者をめぐる論争
第四節 朱景元撰『類説経学隊仗』と崔致遠著『類説経学隊仗』
第五節 崔致徳手抄本『経学隊仗』
第六節 朝鮮王朝における崔致遠評価
第七節 族譜序文における崔致遠評価
第八節 西岳書院本『類説経学隊仗』の誕生
おわりに
 
第九章 『西岳志』異本考  その概要と類型化  
 
  はじめに
第一節 西岳書院と『西岳志』
第二節 『西岳志』各種異本の書誌
第三節 『西岳志』各種異本の類型化
第四節 『西岳志』異本諸類型の相互関係
おわりに
 
付録
 
『三国史記』巻第四十六、列伝第六、崔致遠伝
 
桂苑筆耕集序(崔致遠)

校印桂苑筆耕集序(洪奭周)

校印桂苑筆耕集序(徐有榘)

 
あとがき

著者紹介

濱田耕策(はまだ こうさく) まえがき、第一章、あとがき
1949年生まれ
2000年4月より九州大学大学院人文科学研究院教授
『朝鮮古代史料研究』(吉川弘文館,2013年)

静永 健(しずなが たけし) 第二章、第六章
1964年生まれ
2000年4月より九州大学大学院人文科学研究院准教授
『唐詩推敲―唐詩研究のための四つの視点―』(研文出版,2012年)

張 日圭(チャン イルギュ) 第三章
1967年生まれ
2012年9月より韓国学中央研究院韓国学知識情報センター研究教授
『崔致遠の社会思想研究』(新書苑,2008年)

川本芳昭(かわもと よしあき) 第四章
1950年生まれ
2000年4月より九州大学大学院人文科学研究院教授
『魏晋南北朝時代の民族問題』(汲古書院,1998年)

竹村則行(たけむら のりゆき) 第五章
1951年生まれ
2000年4月より九州大学大学院人文科学研究院教授
『楊貴妃文学史研究』(研文出版,2003年)

西山 猛(にしやま たけし) 第七章
1962年生まれ
2000年4月より九州大学大学院言語文化研究院准教授
『漢語史における指示詞と人称詞』(好文出版,2013年)

柴田 篤(しばた あつし) 第八章
1952年生まれ
2000年4月より九州大学大学院人文科学研究院教授
訳註『天主実義』(平凡社,2004年)

六反田 豊(ろくたんだ ゆたか) 第九章
1962年生まれ
2002年4月より東京大学大学院人文社会系研究科准教授
『朝鮮王朝の国家と財政』(山川出版,2013年)

川西裕也(かわにし ゆうや) 付録
1981年生まれ
2011年4月より日本学術振興会特別研究員(PD)
『高麗末・朝鮮初における任命文書と国家』(博士学位論文,2012年)

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