内容紹介
近代文学を発展させた作家たちは様々な問題に取り組んでいた。表現体において「言文一致体」がその諸問題に対する解決案の一つであったが,近世から近代にかけて,文学の意味内容も吟味されるようになった。文芸的思潮の流れの中で「橋」は作中に数多く登場しているが,この頻出の原因は一体何だろうか。
本書は,橋が登場している近代文学の複数の名作において,「橋」が如何に描写されているのか,その箇所が如何に作品全体の意味合いに貢献しているのかを調査するものである。イデオロギーなどを主題の一つとして取り上げる近代の小説家や詩人がその観念を具現化しようとする際に,「橋」はその目的を達成するために容易に活用できるプロップである。隠喩的な橋が風景描写に織り込まれている場合,「橋」の描写が,ロゼッタ石のように,作中の異なる次元を読み合わせるための技巧として機能していると考えられる。このため,近代文学作品を「橋」の視点から分析すれば,風景描写に潜んでいる近代的思想性が明らかになる。
例えば,本書の三章は,島崎藤村の「破戒」における複数の橋の風景描写を取り上げて,それらの橋の文芸上の機能について考察する。この分析によって鮮明になるのは,どの場面においても橋は単なるプロップではなく,物語展開の過程や登場人物の心境を反映する表現媒体であるということである。つまり,近代文学の「橋」は,古典文学に見られる歌枕として登場している橋と比較して,より自由に操作できる素質を持っている。
「歌枕から風景描写へ」という時代の流れを検証する本書は,近代文学における「橋」の隠喩的特徴の分析を通して,近代文学作品の風景描写に潜在している思想性を論じている。多数の文学作品を橋の視点から分析した後の結論は,古典に見られる,彼岸と此岸,生と死,そして聖と俗を「つなぎ」「隔てる」場として機能する橋の隠喩的本質には不動な特徴があるとはいえ,表現法の変化に焦点を当てれば,近代文学の橋には新しい性質も発見できるというものである。以上のような方法をもって,本書は「橋」の視点から近代文学を眺めて,その思想的深層を追求している。