江戸時代,天和,貞享,元禄年間にわたって筑前と肥前が争った脊振山の境界論争は,元禄六年,幕府の評定所による裁許により肥前側の全面勝利という形で決着をみた。この争論に関しては,福岡藩が完敗したためか福岡側には文書がほとんど残っておらず,これまでは佐賀側のいわば勝者側の史料によって考察するほかなかった。 しかし今回,実際に折衝にあたり,情報の収集にあたった筑前側の村の史料が発見された。この史料は,肥前側当事者および福岡藩との間で交わされた文書,私人または百姓代表から庄屋への情報等,多岐にわたる。この全文を校訂し,解題を付した復刻版として刊行した。これによって筑前側の村の内情や佐賀側のこれまで知られていない村の面も推測できよう。
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