内容紹介
夢と転生に彩られた甘美な恋物語という従来の解釈から、二人の男が互いの想い人を奪い合う、「恋の闘争」の物語へ
『無名草子』において平安後期物語の三大傑作に数えられながら、近世以前に首尾を逸亡させ、国学者たちによる研究も不発に終わった『浜松中納言物語』(原題「御津の浜松」)は、昭和初期に最終巻の伝本が二本発見されたことにより、研究史上の新時代を迎えた。以来、八十年余りを経て、その間には優れた注釈書も著され、読解のための環境は整ったように見えるのだが、実際にはどうなのか。
本書は、最終巻前半に見える主人公の心中表現を取り上げ、主語の認定について疑義を提出することから始まる。そこで明確になった誤読は、最終巻の読み解きへと波及し、従前の作品理解に大きな変更を迫ることとなる。さらには、遡って散逸首巻をも含めた作品の全体像についても、新たな読み解きを要請する。先覚の注釈書に対する数々の批判も、すべて作品の表現や文脈に即しての慎重な吟味に基づくものであり、より正確な読解を希求する姿勢が貫かれる。
古典研究において、写本に書かれていることを通行の文字に起こすこと自体は、少し心得があればさして難しいことではない。ところが、翻字した文字列をどのように判読するかで、作品の理解は一変してしまうのだ。そのような怖さとも裏腹の、古典であるがゆえに味わえる読解の愉楽へと、本書は誘ってくれる。