始めから考える ハイデッガーとニーチェ

シリーズ名
九州大学人文学叢書 6
著者名
菊地惠善
価格
定価 5,280円(税率10%時の消費税相当額を含む)
ISBN
978-4-7985-0116-1
仕様
A5判 上製 392頁 C3310
発行年
2014年1月
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内容紹介

20世紀を代表する哲学者ハイデッガーは、終生「存在」を考えたと言われる。しかし何事も、有名であるからと言って、それがよく理解されているとは限らない。ハイデッガー哲学の主題である「存在」も、そういうものの一つである。一般人は「存在」など分かり切ったことだと思っているし、哲学研究者は、有名なハイデッガーが言っているのだから、「存在」はきっと重要な問題に違いないと信じている。いずれの場合も、「存在」がどういう問題なのかは、ハイデッガーの努力に反して、ハイデッガーの登場後も、容易に見逃されてしまうのである。

では、「存在」とは何なのか、「存在」を考えるとはどういうことなのか。真正面から問題にすれば、そんなことは分かり切ったことだと思っている一般人も気懸りになってくるだろうし、哲学研究者は、哲学を専門にする以上、ハイデッガーの仕事を真剣に受け止めようとすれば曖昧なままに放置しておけなくなるだろう。では、その「存在」について私たちは、一体どこから、どのようにして、さらに何を知ろうとするのだろうか。常識的に考えれば、これほど簡単なことはない。つまり、「存在」を探究するには、それを自らの生涯唯一の課題としたハイデッガーの、その膨大なテキストを手懸りにするのが、一番適切で有効な方法である、このように思われる。だが、これは本当だろうか。ハイデッガーの問題にした「存在」を理解するのに、当のハイデッガーのテキストを手懸りにするのは、誰かの証言や記録をそのまま正しいと判断して鵜呑みにするのと同じで、権威に追随して過信や盲信に陥ることにはならないだろうか。ハイデッガーが「存在」について考えたことがどういうことなのか、それを知るにはやはり、自ら事柄そのものに問いかけ、もう一度「始めから考える」ことが必要なのではないだろうか。本書は正に、この当たり前と言えばあまりにも当たり前な道を、しかしながら、権威や文献を元の事柄そのものに引き戻して理解しようとする限りでは、とても危険で孤独な道を辿って、ハイデッガーの考えた「存在」を考え直そうとする試みである。

本書は二部から構成される。第I部では、ハイデッガーの問題とした「存在」へ接近するために、いくつかのトピックの考察が展開される。それは、技術、芸術、不気味さ、理性、死などである。これらの考察を通して、第I部の最後で、現時点での、著者の最終的な「存在」の理解が提示される。第II部では、ハイデッガーが最も真剣に対決せざるをえなかったニーチェの哲学を、ハイデッガーのニーチェ解釈と距離を置きながら、その主要なキーワードに即して解釈することが試みられる。それは、力への意志、永遠回帰、すべての価値の価値転換である。ハイデッガーのニーチェ解釈は、ハイデッガーにとって自らの哲学の正しさを裏付けるためには避けて通れない必須の課題であったが、そうである以上、ハイデッガーとは別にニーチェ哲学の解釈を試みることは、ハイデッガー哲学の位置をニーチェの位置から、時代を逆行して、外側から相対化して測ることを可能にしてくれると期待されるからである。実際、第I部の最終章は、第II部の作業を終えた後に書かれたのである。

本書が「存在」の探究に関してどこまで進みえたか、それは、この問題に対して真面目な関心を持つ読者諸氏の判断に委ねることにしたい。

目次

 前書き
 凡 例
 
序 論
 
 一 主題 
 二 方法
 三  構成

  第I部 ハイデッガー哲学について考える
 
導入 根拠への問い
 
第1章 技術と芸術  ハイデッガーの技術論の射程  
 
 一  はじめに
 二 ハイデッガー技術論の要点
 三 いくつかの疑問
 四 ハイデッガーの技術論の意義
 五 おわりに
 
第2章 存在とは何か、その問いの発端
 
 一 「存在(ある)」とは何か、という問い
 二 理解する(分かる)とはどういうことか
 三 「存在(ある)」を理解すること
 四 終わり、そして始まり
 
第3章 不気味なもの
 
 一 はじめに
 二 不気味なものの事例
 三 不気味さの位置
 四 不気味さの特性
 五 不気味さの本質
 六 補論 ハイデッガーの現存在分析論における不気味さの位置
 七 おわりに
 
第4章 存在の比喩的解釈
 
 一 はじめに
 二 存在が哲学的に問題になる場面
 三 「存在」一般の意味
 四 光の比喩
 五 貨幣の比喩
 六 地図の比喩
 七 おわりに
 
第5章 動物は「私」と言うことができない
 
 一 はじめに
 二 思考あるいは理性
 三 人間と動物の違い
 四 おわりに
 
第6章 死と時間性
 
 一 はじめに
 二 『存在と時間』における死と時間性の関連
 三 死の実存論的分析
 四 ハイデッガーの構想の解体
 五 おわりに
 
第7章 存在について考える  ハイデッガーと共に/を越えて  
 
 一 はじめに
 二 存在の意味への問いとハイデッガー哲学
 三 存在と時間
 四 存在と存在者
 五 存在の思考
 六 おわりに

  第II部 ニーチェ哲学について考える
 
導入 ハイデッガーのニーチェ講義録(全集第四四巻)を読む
 
第8章 ニーチェの力への意志の形而上学
 
 一 はじめに
 二 道徳的な価値の批判
 三 力への意志の形而上学
 四 形而上学への誘惑
 
第9章 仮定か事実か  永遠回帰思想について  
 
 一 はじめに
 二 考察の端緒
 三 永遠回帰思想の批判的な吟味
 四 永遠回帰思想の積極的な解釈
 五 永遠回帰と力への意志
 
第10章 荘子とニーチェ
 
 一 はじめに
 二 老子
 三 荘子
 四 ニーチェ
 五 要約と展望
 
第11章 すべての価値の価値転換という試みについて
 
 一 後期ニーチェ哲学の難解さ
 二 〈力への意志〉 概念の基本的な意味
 三 〈力への意志〉 概念における根本問題
 四 「すべての価値の価値転換」
 五 〈力への意志〉 を意志する
 
結 論
 
 後書き

著者紹介

菊地惠善(きくち えいよし)

1953 年茨城県生まれ。東京大学文学部卒業,東京大学大学院満期退学。東京大学文学部助手,金沢大学教養部および文学部助教授を経て,現在,九州大学大学院人文科学研究院教授。

主要業績:「倫理学の危機―生命倫理の問いとその意味―」(千葉大学『生命と環境の倫理研究資料集』,1990),「知と生―ヘーゲル歴史哲学再考―」(金沢大学教養部『論集・人文科学篇』30-1,1992),「道徳の根拠をめぐる問い―カントとヘーゲルの対立を超えて―」(『講座近・現代ドイツ哲学?』,理想社,2004),『西洋的思考におけるニーチェの形而上学的な根本の立場』(翻訳,ハイデッガー全集第44 巻,創文社,2007),『九州大学文学部人文学入門3 コミュニケーションと共同体』(共著,九州大学出版会,2012)他。

Web ページ:「菊地惠善の哲学ノート」http://www.geocities.jp/eckiku

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