ゆらぐ水環境を捉える 水共生社会の実現をめざして
内容紹介
水は、私たち人類を含むこの地球上で暮らすすべての生命に欠かせない物質である。動物や植物、菌類が生息する基盤となる生態系の維持にも、人類が行う農林水産業などの生業、様々な儀礼、人や文化の交流などにも、水は重要な役割を果たしている。地球環境も、生態系も、そして人間活動も水の恩恵によって成り立っているところが大きい。しかし、水がもたらすのは恩恵だけではない。地震によって引き起こされる津波や台風は、人間の生命を奪い、生活基盤を破壊し、生態系にも甚大な影響を与える。地球温暖化や気候変動に起因する突発的豪雨や線状降水帯の頻発は、土砂崩れや洪水を引き起こし、人的・物的被害を生じさせるだけではなく、生物の生存基盤を破壊し、絶滅へと追いやることもある。津波や台風、突発的豪雨などによって水が「多すぎること」が厄災となるだけではなく、極度の乾燥や干ばつなどによって水が「少なすぎること」もまた問題である。干ばつが生じると、人間の飲み水が不足する、農作物の生育がうまくいかなくなる、そして川や池などが干上がることにより生物の生育環境が破壊されるなど、様々な負の影響が生じる。そもそも水が少ない砂漠などの乾燥地では、飲料水や農業用水を安定的に入手するのが困難であることが多い。また水が豊富にあったとしても、汚染などにより使用することが出来なければ、人間や生物にとってその水は「ない」に等しい。地球上の自然環境と生態系を維持し、人間活動を持続可能なものにするうえで、この水の厄災的な側面を可能な限り低減し、恵みの側面を最大化することが必要である。それではそれはどのようにしたら実現可能となるのか。
この課題にこたえるべく、地球科学や水文学、生物多様性科学、生態学、地理学、経済学、歴史学、文化人類学、社会学、そして地域研究などの多様な学問分野が協働して、現在の地球の水循環と水環境を多角的に解明し、水に関わる地球環境と生態環境、そして人間活動が持続可能な形で調和する「水共生社会」の実現をめざす、「水共生学」の創生を目的とした研究プロジェクトを2020年から開始した。この研究プロジェクトでは、地球上の水循環と水環境を、地球全体の水の循環を扱う地球圏、生物や生態系にかかわる水を対象とする生物圏、そして人間活動と水の関係を対象とする人間圏、この三つの圏域の間の力の相互作用によって成立する場として定義した。この三つの圏域の力の相互作用は安定的なものではなく常に変化し続けているため、その結果として三つの力のせめぎ合いによって成立する水循環と水環境も安定的な場ではなく、常に変化し続ける動態的な場として立ち現れてくる。また、水循環と水環境は過去から現在、そして未来へと至る時の経過の中でも、三つの圏域の力の相互作用の変化によって、常に変化し続けている。つまり、水循環と水環境には「ゆらぎ」が内包されているのである。そして、この「ゆらぎ」の幅が大きくなると、地球環境や生物、生態環境、そして人間活動に大きな影響を与えることになる。水循環、水環境の「ゆらぎ」のメカニズムを解明し、「ゆらぎ」の幅を地球環境、生物、生態環境、そして人間活動にとって持続可能な範囲の中に収めるためには何をするべきなのかを提示するのが水共生学である。研究プロジェクトでは、日本国内3か所(北海道道東地域、北部九州地域、琉球諸島)、海外2か所(東南アジア大陸部メコン川流域、東アフリカ大湖地域)の研究フィールドを設定し、このフィールドにおける過去から現在、そして未来の水循環と水環境の在り方を検討してきた。
本書はこの研究プロジェクトで得られた成果をまとめた「水共生学シリーズ」の第1巻である。『ゆらぐ水環境を捉える: 水共生社会の実現をめざして』と題するこの第1巻では、水共生学とはいかなる学問領域であるのか、水循環、水環境を構成する地球圏、生物圏、人間圏をどのように分析するのか、水共生学の鍵概念である「ゆらぎ」とは何か、そして水共生学を活用して地球環境と生物、生態環境、そして人間活動が持続可能な形で共存する水共生社会をいかにして実現するのかについて描き出す。
目次
イントロダクション 水と共生する社会をめざして
第1章 地球にとっての水
はじめに
1 地球をめぐる水
1.1 水循環
1.2 大気中における水
1.3 地表における水
1.4 人間活動と水循環
2 水循環を捉える
2.1 現地観測
2.2 レーダー/リモートセンシング
2.3 現地観測とリモートセンシングの比較
3 水循環を理解し予測する
3.1 気象予測・災害予測
3.2 数値モデル
3.3 地球温暖化に伴う気候変化とその影響
4 水と地球
おわりに
第2章 人間にとっての水
はじめに
1 飲料水アクセスと人間の生存
1.1 命に不可欠な資源としての水
1.2 水汲み労働と人的資本形成
1.3 飲料水アクセスの改善に向けた政策的方策とその課題
2 農業における水利用
2.1 「緑の革命」への灌漑の貢献
2.2 灌漑の維持管理問題
3 水と社会的脆弱性:災害リスクと予測・制度的対応
3.1 極端気象現象と災害の現状
3.2 災害への新しい制度的対応
4 水関連感染症と人的資本への影響
4.1 水・衛生・手洗い環境(WASH)と疾病リスク
4.2 水辺環境と疾病リスク
5 水の文化的・象徴的価値
おわりに
コラム1 アフリカの水環境をめぐる課題
第3章 生物と水の関わり
はじめに
1 生物にとっての水
1.1 体内の水循環
1.2 水の物理的特性と生態環境
2 水と生態環境
2.1 水と生態系サービス
2.2 水とバイオーム
3 代表的なバイオーム:森林
3.1 日本の様々な森林
3.2 アジアモンスーンが育んだ照葉樹林
3.3 人工林林業が生態系サービスに及ぼす影響
4 代表的なバイオーム:湿地
4.1 日本の多様な湿地環境
4.2 水田とその周辺の水環境が育む豊かな生物多様性
5 生物多様性の実態
5.1 多様な日本の生物多様性
5.2 メコン地域の生物多様性
6 生物多様性の危機的状況
6.1 水田とその周辺の水環境の危機的な状況
6.2 ネオニコチノイド系農薬等による水環境の汚染
6.3 侵略的外来種の侵入
6.4 淡水環境の世界的な危機的状況
6.5 気候変動の深刻な影響
7 生物多様性の保全
7.1 流域の保全
7.2 「自然共生サイト」を利用した市民参加型の新たな保全体制
おわりに
コラム2 メコンの水環境をめぐる課題
第4章 ゆらぎの場としての水
はじめに:ゆらぎとは何か
1 水循環システムのゆらぎ
2 水環境のゆらぎ
2.1 北海道道東地域
2.2 北部九州地域
2.3 琉球列島
3 時の経過によるゆらぎ
4 水共生社会の実現に向けて
おわりに
コラム3 道東の水環境をめぐる課題
第5章 水共生学とは何か?
はじめに:なぜ水共生学が必要か?
1 水をめぐる問題と社会課題
2 水文学の発達と学術の総合化の進展
3 ゆらぎの場として捉える水環境
3.1 ゆらぎを内包する水循環システム
3.2 ゆらぎの幅
4 水共生学
4.1 水共生学の考え方
4.2 水共生学の時間・空間スケール
4.3 絶対解を見出さない科学:社会との協働
おわりに
第6章 ゆらぎの場から捉える社会課題
はじめに:水をめぐる現代の課題
1 問題を捉え、課題を設定する
1.1 問題と課題
1.2 社会問題の捉え方
1.3 ゆらぎの場から社会問題を捉える
2 ため池の管理に関わる問題:佐賀県武雄市の事例
2.1 ため池とは何か?
2.2 佐賀県武雄市のため池を取り巻く状況
3 水共生学の視点からみるため池
3.1 地球圏からみるため池
3.2 人間圏からみるため池:聞き取り調査から捉えるため池の問題
3.3 人間圏からみるため池:ワークショップ形式の調査から捉えるため池の問題
3.4 生物圏からみるため池
4 水共生学から捉えるため池の課題
4.1 ゆらぎの場としてのため池
4.2 対象とする地理空間範囲の設定という課題
おわりに
コラム4 北部九州の水環境をめぐる課題
第7章 水共生社会の実現に向けて
はじめに:水共生社会をめざして
1 水共生社会とは何か?
1.1 共生という語
1.2 水共生社会とは?
2 未来を描く試み
2.1 ビジョンとシナリオ
2.2 フォアキャスティングとバックキャスティング
2.3 フューチャー・デザイン
3 ステークホルダー間の合意形成
3.1 ステークホルダーの特定
3.2 ステークホルダー間の合意形成
4 沖縄県石垣島の課題と未来ワークショップ
4.1 石垣島の水環境と課題
4.2 石垣島未来ワークショップ
おわりに
コラム5 琉球列島の水をめぐる課題:水生昆虫の保全
あとがき
索引
編者・執筆者紹介
著者紹介
<編者>
荒谷邦雄(あらや くにお)
九州大学大学院比較社会文化研究院教授。専門は生物多様性科学。
鬼丸武士(おにまる たけし)
九州大学大学院比較社会文化研究院教授。専門は比較地域研究・アジア政治史。
田尻義了(たじり よしのり)
九州大学大学院比較社会文化研究院教授。専門は考古学。
藤岡悠一郎(ふじおか ゆういちろう)
九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。専門は地理学。
松本朋哉(まつもと ともや)
小樽商科大学商学部教授。専門は開発経済学。
渡部哲史(わたなべ さとし)
九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。専門は水工学。
<執筆者>
荒谷邦雄 イントロダクション、第3章、第5章、コラム5、あとがき
内海信幸(うつみ のぶゆき) 第1章
東京科学大学環境・社会理工学院准教授。専門は水工学。
江頭 進(えがしら すすむ) コラム3
小樽商科大学商学部教授。専門は経済学。
鬼丸武士 イントロダクション、第4章
田尻義了 あとがき
百村帝彦(ひゃくむら きみひこ) コラム2
九州大学熱帯農学研究センター教授。専門は森林政策。
藤岡悠一郎 第2章、第4章、第5章、第6章、第7章
松本朋哉 第2章、コラム1
渡部哲史 第1章、第6章、第7章、コラム4





