内容紹介
あまりにも鋭い人間的洞察力を与えられたとき,人間は白痴のように見えるのかも知れない。『白痴』の主人公ムイシキン公爵は癲癇という病気のもとに神秘的とまで見える洞察力をもって19世紀ロシアを遍歴する。近代の大都会に跳梁する道化群像の只中にあって,彼ひとり揺るがぬ魂のユートピアを願って生きる。しかし恐るべき愛憎の渦へと巻き込まれて破滅の運命をたどることになる。謙抑に満ち,人を裁くことのない無垢の魂が,何故悲劇をとどめ得なかったか。『白痴』という小説の謎はその一点にきわまるが,それは公爵のうちなる虚無の感触によるのではないか。宇宙との諧調を求めて求められない,宇宙のなかでひとり排除されているという戦慄的畏怖の想い,これほどナイーヴで,誠実きわまりない共苦する魂は世界文学でも稀有なものだが,本書はその魂の謎をその虚無の想いによって解読する。なお映画化したものとして国際的に評価の高い黒澤明監督作品『白痴』の創作方法への考察も付して,日本人のドストエフスキー理解の深さを紹介している。