内容紹介
本書は、日本近代の無教会信仰者、伝道者である内村鑑三のキリスト教思想、その福音の中心にして、旧新約聖書の奥義となる「再臨信仰」に関する研究である。それはまた、戦争と混沌の時代のなかで、旧約の風前の籾殻の如くに生きる、人の救済への途をたどる文学・批評的な再臨論でもある。
プロローグには、旧約学者・関根清三『旧約における超越と象徴』との対話を置き、大江健三郎『燃えあがる緑の木』とともに、人生の懐疑と旧約の森、そこに垣間見える再臨宇宙を論じた。以下、ドストエフスキー文学におけるスタヴローギンからイヴァンまでのニヒリストの系譜(第一部)、罪と愛をめぐるユダとイエスの新約の物語(第二部)を考察した。第三部では、神学者・滝沢克己の晩年のブルームハルト父子論と関連した神の国と地上の国の問題、その核心となるインマヌエルと再臨、次に非戦論・絶対戦争廃止論ととともにある内村鑑三の再臨信仰への途(第四部)、世界大戦争と呼ばれた第一次世界大戦を背景に高揚した大正期の再臨運動等を論じ、最後の第五部では、結論となる再臨のキリストと臨りつつあるイエスの終末論的考察、内村鑑三と最後の弟子・藤井武との贖罪信仰と愛の福音をめぐる関係など、内村鑑三と再臨信仰の核心へと至る。
このように、内村鑑三のキリスト教の信仰的生涯とその傑出した思索を再臨信仰から読み解き、エピローグでは本書のテーマである生命の水の河の辺へと至りつく。それは内村鑑三という一キリスト者の思想と道半ばであったその万人救済論を、「臨りつつあるイエス」を象徴的、黙示的な光源にして、旧新約聖書の希望の水脈として流れつづける「生命の水の河」を遡源し、「再臨」という純福音に達する内村鑑三研究である。人は、いかに救われるか、というパウロのロマ書の問いとともに――。
その永遠に涸れることのない一条の生命の河は、創世記の原初の楽園を潤したその源から、旧約の幾重もの歴史の地層をくぐり、イエスとともにはじまる新約の福音書、パウロなどの信仰書簡からヨハネ黙示録の新しい天地、都の大路の中央まで途絶えることなく流れている。そこには、臨りつつあるイエスとともに、罪と死を超えた万人救済・再臨の風景が広がり、生命の水音が響く希望の物語がある。