ドイツにおける教育学の発展史 二十世紀ドイツの教育科学
内容紹介
ドイツの教育学は明治期以降、日本の教育学の成立・発展過程において大きな影響を与えてきた。今日まで、少なからぬ日本人教育学者たちがドイツに留学し、同地で研究生活を送っている。もっとも、ドイツにおける教育思想・教育論としての教育学 (Pädagogik) が日本において注目され、広く知られてきたのに対し、アカデミックな学問としての教育科学 (Erziehungswissenschaft) の実態はあまり知られてこなかった。さらに第二次世界大戦後、ドイツは東西へと分割されたが、主には西ドイツの教育学のみが紹介されるにとどまり、東ドイツにおける動きはごく部分的にしか知られてきていない。もっとも、アカデミックな学問としての教育科学の実態が知られてこなかったのは統一後のドイツにおいても同様であり、そうした状況がはじめて乗り越えられたのは2003年に出版されたクラウス゠ペーター・ホルン氏の教授資格論文によってであった。
本書はその教授資格論文『Erziehungswissenschaft in Deutachland im 20. Jahrhundert: Zur Entwicklung der sozialen und fachlichen Struktur der Disziplin von der Erstinstitutionalisierung bis zur Expansion(20世紀ドイツの教育科学:制度化の始まりから急拡大期におけるディシプリンの社会的・領域的構造)』の翻訳書である。ドイツにおける教育学の理論史に関しては、すでにこれまでも教育理論家(ペスタロッチー、ヘルバルト、フレーベルなど)、教育学者や教育哲学者(シュプランガー、リット、ノール、ボルノウなど)、そして教育実践者(ケアシェンシュタイナー、リーツなど)について無数の研究が蓄積されており、それは日本においても同様である。だが、ドイツのアカデミックな教育学(教育科学)がいかなるかたちで体系化され、発展してきたのかについては、これまで充分に明らかにされてこなかった。そうした体系化・発展の過程を描き出したのが、本書の最大の功績であろう。そして、東西ドイツの分断期にその過程が双方においてどのように進行していたのか、そして教育学者たちのナチズムへの関与という事実が戦後、東西ドイツの双方においてどのように扱われたのかといった、これまで充分には知られてこなかった点を膨大な資料を駆使して明らかにした点も、本書の卓越した功績といえる。
ホルン氏の網羅的な史料探索により明らかにされ、本書において取り上げられた教育学者はおよそ280名であり、部分的な言及も含めれば600名を超える。一部の著名な人物のみを特権的に取り上げ、彼らの特徴のみをもって全体を論じることの問題点は近年、日本においても指摘されているが、2003年出版のホルン氏の教授資格論文以降、ドイツの教育科学においてはそうした課題が乗り越えられる基盤が整えられたのである。
なお、史料の数量的な分析に基づく実証的な学問ディシプリン史研究をドイツの教育学において進めた人物として日本においても有名なのが元ベルリン・フンボルト大学教授のハインツ゠エルマー・テノルト氏であるが、ホルン氏はテノルト氏のもとで学び、テュービンゲン大学教授を経て、現在はゲッティンゲン大学教授として数量的手法を用いた教育学史研究に取り組んでいる。すでにその教え子たちもドイツ各地で研究者として活動しているが、アカデミックな教育学(教育科学)という学問ディシプリンそのものを検討対象としようとする学問的伝統の代表的継承者であるホルン氏において、もっとも重要な書籍はその教授資格論文であろう。本書は同書の翻訳書であり、ホルン氏と協議の上、新たに日本人読者に向けた著者解説や訳者解題も加えている。
目次
訳者まえがき
現在の国境線から見る各大学の所在地
第1章 導入
◆ 日本の読者に向けた解説:教授の職階について
◆ 日本の読者に向けた解説:教育学と教育科学の区別について
第2章 ヴァイマル共和国およびナチス政権期の研究大学における教育科学:1919年から1945年
1 大学所在地ごとの全体像
(1) バーデン(フライブルク・イム・ブライスガウ、ハイデルベルク、カールスルーエ、マンハイム)
◆ 日本の読者に向けた解説:退職・休職の様々な形態について
(2) バイエルン(エアランゲン、ミュンヘン、ニュルンベルク、ヴュルツブルク)
(3) ブラウンシュヴァイク
(4) ハンブルク
(5) ヘッセン(ダルムシュタット、ギーセン)
(6) メクレンブルク(ロストク)
(7) プロイセン(アーヘン、ベルリン、ボン、ブレスラウ、フランクフルト・アム・マイン、
ゲッティンゲン、グライフスヴァルト、ハレ・ヴィッテンベルク、ハノーファー、キール、
ケルン、ケーニヒスベルク、マールブルク、ミュンスター)
(8) ザクセン(ドレスデン、ライプツィヒ)
(9) テューリンゲン(イェナ)
(10) ヴュルテンベルク(シュトゥットガルト、テュービンゲン)
(11) その他の「ドイツ」大学(ダンツィヒ、ポーゼン、プラハ)
2 体系的分析
(1) 教育科学担当のゼミナール・インスティテュート・部門
(2) 出発点:1919年における教育科学担当の教授職
(3) 拡大期:1920年から1932年までの教育科学担当の教授職
(4) 収縮期:1933年から1945年までの教育科学担当の教授職
(5) ナチス政権期における教育科学:特異な形態 (Singuläre Figuration) ?
(6) 領域上の再生産と博士論文指導教員 (Doktorväter)
(7) ディシプリンの発展の恒常化:1919年から1945年におけるディシプリンの発展傾向
(8) 1944/45年の状況
第3章 ソヴィエト占領地域とドイツ民主共和国の研究大学における教育科学:1945年から1965年
1 大学所在地ごとの全体像
(1) ベルリン
(2) ドレスデン
(3) グライフスヴァルト
◆ 日本の読者に向けた解説:新教員 (Neulehrer) について
(4) ハレ・ヴィッテンベルク
(5) イェナ
(6) ライプツィヒ
(7) ポツダム
(8) ロストク
2 体系的分析
(1) 1945/46年の教育科学担当の教授職
(2) 1945/46年から1955年までの教育科学担当の教授職
(3) 1956年から1965年までの教育科学担当の教授職
(4) 領域上の再生産と博士論文指導教員
(5) 教授資格審査、ドイツ社会主義統一党の所属、地域主義 (Lokalisierung)、教育科学の内的分化:
1965年までのソヴィエト占領地域ならびにドイツ民主共和国におけるディシプリン発展の傾向
第4章 西側占領地域とドイツ連邦共和国の研究大学における教育科学:1945年から1965年
1 大学所在地ごとの全体像
(1) バーデン・ヴュルテンベルク(フライブルク・イム・ブライスガウ、ハイデルベルク、
カールスルーエ、マンハイム、シュトゥットガルト、テュービンゲン)
(2) バイエルン(ニュルンベルク、エアランゲン、ミュンヘン、ヴュルツブルク)
(3) ベルリン
(4) ハンブルク
(5) ヘッセン(ダルムシュタット、フランクフルト・アム・マイン、ギーセン、マールブルク)
(6) ニーダーザクセン(ブラウンシュヴァイク、ハノーファー、ゲッティンゲン)
(7) ノルトライン・ヴェストファーレン(アーヘン、ボッフム、ボン、ケルン、ミュンスター)
(8) ラインラント・プファルツ(マインツ)
(9) ザールラント(ザールブリュッケン)
(10) シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(キール)
2 体系的分析
(1) 1945年以降の「戦前期教授たち (Altprofessoren)」
(2) 1945年以降の新たな着任・任用者の全体像
(3) 1945/46年から1958年までの新たな教授たち
(4) 付説:「科学機関拡充のための学術審議会答申 (Empfehlungen des Wissenschaftsrates zum
Ausbau der wissenschaftlichen Einrichtungen)」
(5) 1959年から1965年までの教育科学担当の新たな教授たち
(6) ナチ党への所属、東部難民 (Ostflüchtlinge)、帰国者 (Remigranten)
(7) 領域上の再生産と博士論文指導教員
(8) 制度面・スタッフ面での自律化:1965年以前のドイツ西側地域におけるディシプリンの発展
第5章 教育科学の20世紀における制度化と地位向上、細分化と自律化
訳者解題:ドイツにおける教育学の理論発展と日本の教育学にとっての意味
1 ドイツ教育学の成立期における日本の教育学との出会い
2 戦間期から第二次世界大戦期のドイツ教育学
3 西ドイツにおける教育学の発展
(1) 1940年代〜1950年代:戦前期(ヴァイマル時代)への立ち戻りと精神科学的教育学の独占?
(2) 1960年代:教育学の「科学化」と教育学における理論研究・実践研究の分離
(3) 1970年代:教育学の社会問題志向化と解放志向化
(4) 1980年代:ポストモダン論との対決と乗り越え
(5) 「精神科学的教育学」の語の不明確さとそれゆえの柔軟性
4 東ドイツにおける教育学の発展
5 日本における西・東ドイツの教育学の同時的な受容を可能としたもの:国境を越えるネットワーク
の中の教育学
学問の地盤が揺れ動くとき──教育学史研究と東西ドイツ統一
(ホルン氏『ドイツにおける教育学の発展史』邦訳書刊行に寄せて)(山名 淳)
原著者あとがき(日本語版に寄せて)
訳者あとがき
史料と引用参照文献一覧
人名索引
著者紹介
クラウス゠ペーター・ホルン (Klaus-Peter Horn)
ドイツ・ゲッティンゲン大学教授(一般的教育学・教育史学)。フランクフルト大学にて博士号を取得した後、
ベルリン・フンボルト大学にて教授資格審査通過。ベルリン・フンボルト大学にて助手や私講師などを務めた
後、2004年にテュービンゲン大学教授となり、2011年より現職。
2008年度の後期には日本学術振興会外国人招へい研究者として東京学芸大学に滞在。ナチズム期の教育学(教
育科学)に関する著作や、ドイツにおける教育学(教育科学)の発展過程に関する論文・書籍を数多く出版。
日本人研究者との共同研究の成果として次の著作がある。
Horn, K.-P., Ogasawara, M., Sakakoshi, M., Tenorth, H.-E., Yamana, J. & Zimmer, H. (Eds.). (2006).
Pädagogik im Militarismus und im Nationalsozialismus: Japan und Deutschland im Vergleich. Bad
Heilbrunn: Klinkhardt.
鈴木 篤(すずき あつし)
九州大学大学院人間環境学研究院准教授(教育動態論)。博士(教育学、広島大学)。大阪大学人間科学部卒業、
広島大学大学院教育学研究科修了。兵庫教育大学教員養成スタンダード開発室、大分大学教育福祉科学部・教育
学部での勤務を経て現職。ドイツ教育学、S. ベルンフェルトやN. ルーマンの理論を基盤に、学校教育や教育実践、
教育学史の研究に取り組む。
著書
『日本における教育学の発展史─教員の集合的属性に着目したプロソポグラフィ─』(九州大学出版会、2023年)
近著論文
「科学システムとしての教育学と教育実践の関係性再考―N.ルーマン科学論における学問領域の細分化過程と観察
の多元性に関する議論から」(『教育学研究』、2022年)など。