内容紹介
近代国民国家では、言語の共有化、「共通語」、「国家語」の形成によって国家に対する帰属意識とそれぞれが言語を通じてつながり合う共同体意識を育む必要がある。そこで重要な役割を果たすのが国語教育である。中国近代でも、教育予算の十分な確保や政策の全国的普及に多くの難題を抱える一方で、国際的な新教育運動を背景に近代的な学校教育制度の確立が模索されていた。なかでも、1922年の壬戌学制を受けて編成された「新学制課程標準綱要」は、文字通り「Curriculum Standards」として校種間の接続が意識され、国語教育では「国文科」から「国語科」へと改められた。これらの創成で中核的な役割を果たしたのが、文学革命の旗手として知られる胡適である。
本書は、「国語科」創成へと至る歴史的過程をふまえながら、胡適がどのような模索をしていたのかについて明らかにするものである。胡適は、これまで「文学改良芻議」に代表されるように、口語文学の確立を目ざす文学革命の旗手として論じられてきた。清末の学堂、そしてアメリカ留学を通じて、胡適は自らの知を育み、学友との議論を重ねながら、「文学改良芻議」に掲げられているような八か条を結実させていった。帰国後には北京大学へと着任し、「建設的文学革命論」では新たに「国語的文学・文学的国語」のスローガンを提示した。「白話」を「国語」に読みかえ、口語文学の創作を媒介とした「国語」の統一を唱え、これを契機に胡適は自らの国語教育論も展開させていく。低学年から「国語」を用いた教科書を整備し、学年があがるにつれて「国語文」から「古文」への学習に進むべきであると主張した。さらに、自らが取り組んでいた「整理国故」を援用して、「整理」されている「古文」を教材として採用すべきとした。これらの主張は、胡適が審議会の中核に名を連ねることで、実際の「国語科」へと反映されるに至った。思想史や文学史の背景を含め「国語科」創成を検討することで、文学革命の旗手にとどまることのない教育学的に評価すべき点を胡適の思想的模索に見出したことが、本書の特色と言えよう。